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“Humanity or national sovereignty? That is the question.“
ある国で大規模な人権侵害が生じている時にその状況を「私たち」は見過ごすことができるのだろうか。その日を生きることすらままならない人々を私たちは視界の外に追いやり、見なかったように振舞うことができるだろうか。否、そのように振舞おうとすることはできないはずだ。 しかし、「私たち」という枠組みが、「国家」という枠組みに変化をするとき、私たちが抱くこの感情は消えうせてしまう。「国益」という実体のない言葉の中で、「人道危機に瀕している人々」は恣意的に「救われるべき人々」と「救われない人々」に分割され、後者は私たちが気づかぬ内に社会から切り離され、葬られていく。主権国家にとって自国の「国益」が彼らを救済する最大かつ唯一の基準となってしまっているのである。もちろんその基準に人道は含まれない。 この状況は果たして「人道的」正常な思考から生じたものであるだろうか。 しかし、国際社会を構成しているのは主権国家なのである。個人ではない。そのために「国益」を国策への価値判断の基準に適応するのは的外れなことではない。国家としては非恣意的な介入など無駄なものに過ぎず、介入に自国の国益を見出したとき以外は話し合う余地はないと確信している。アメリカはイラクに国益を見出したから介入した。ロシアはチェチェンに国益を見出しているから介入を続けているのだ。 「人道救済」はあくまで介入の間接的要因、単に自国の政策を正当化させる手段に過ぎなくなってしまっている。人間存在としての規範、倫理と現在の主権国家体系のディレンマがここに現れている。 今回の会議では現在の国家体系の中で行うことのできる「人道的介入」への指針作りを建設的に進めていきたいと考えている。その中で、主権国家体系と人間倫理との相克、そして、安全保障理事会という通常の会議設定とは違った、如実にパワーゲームが行われる場所での意思決定の難しさ、を身をもって実感してもらえれば、と考えている。 そのためには多くのリサーチをこの会議に参加するに当たって課される事になるだろう。相当なリサーチをこなした後にこの会議に参加するのが望まれる。以下に参考となる事例を挙げておく。これらへのリサーチは人道的介入の可能性、限界を示唆する事例である。 1、国連によるユーゴスラビアへの介入(1992年) また、国連が介入防止行動に失敗した例として、 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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以下にリサーチソースを紹介する。これを参考に自分が本当に参加したい会議かを吟味してほしい。 国連決議 ソマリアに関する国連安保理決議 東ティモール国連総会、安保理決議 文献 安部浩己・今井直著 『テキストブック国際人権法』 1996年 ウェッブページ 国連安全保障理事会 http://www.un.org/Docs/sc/ | ||||||||||||||||||||||||||||||
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Angola, Algentina, Bulgalia, Cameroon, Chile, China, France, Germany, Guinea, Mexico, Pakistan, Russian Fed, Spain, Syrian Arab Rep., United Kingdom, United States 備考 | ||||||||||||||||||||||||||||||
第3回模擬国連会議関西大会事務局 |
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