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みなさん、こんにちは。ディレクの岡田です。第2回勉強会は「難民保護の法的な動き〜地域編〜」と「国連と難民」を扱いましたが、いかがでしたか?
今からポイントを振り返っていきましょう。レジュメはHPの活動報告のところにUPされています。また、国割り表もUPされていますのでまだ提出されていない方はkaori_shingaidai@yahoo.co.jpまでおねがいします。


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<難民保護の法的な動き〜地域編〜 議題解説者:岡田香織>
ここでは、前回の〜世界編〜に引き続いて地域的な難民保護の条約や宣言を見ていきました。今回はその中でも特に重要なOAU難民条約、カルタヘナ宣言、サンホセ宣言について振り返っていきます。


@アフリカの難民問題の特殊な側面を規定するアフリカ統一機構条約(OAU難民条約)

 アフリカでは特に紛争による難民発生が多く、世界の中でもかなり多くの難民を出している地域です。紛争が多い理由はさまざまですが、主なものとして、19世紀、ヨーロッパの列強が植民地を求めてアフリカに入ってきた際、民族分布をまったく考慮に入れず国境を引き、それが現在まで受け継がれているため、国内の民族構成がより複雑なものになったことが挙げられます。それではOAU難民条約の定義を見ていきましょう。

<第1条2項>
 「難民」という用語は、また、外部からの侵略、占領、外国の支配、又はその出身国もしくは国籍国の一部や全部における公の秩序を著しく乱す出来事のために、出身国又は国籍国の外の場所に避難を求めて、その常居住地を去ることを余儀なくされたすべての者にも適用される。

このOAU難民条約の大きな特徴として、定義の拡大が挙げられます。1951年の難民の地位に関する条約による定義に加え、外部からの侵略、占領、外国の支配、公の秩序を著しく乱す出来事の4つの理由が迫害の理由として拡大されています。また、この拡大の仕方は、まさにアフリカの紛争が多いという事情を考慮したものといえます。それでは、次にその他に重要な点について見ていきましょう。

<自主帰還の原則>
これは難民条約にも規定されていない、OAU難民条約が世界初の原則です。「帰還」とは、迫害を逃れるために他国へ逃げて難民認定を受けた者が、元いた国の治安が回復し、迫害される恐れがなくなったために帰っていくことを言います。この原則は、帰還に際し、例えば、元いた国が、「早く帰ってきなさい」と言って強制的に帰還を促したり、保護している国が追い出したりするのではなく、あくまでも本人の意思が尊重されるという原則です。これは後のカルタヘナ宣言にも引き継がれています。

<庇護付与は非友好の行為ではない>
難民問題は政治的意図が反映しやすい問題だといえます。例えば、政治的意見によって難民になった場合、その難民と元の居住国の政府は対立していた可能性がとても高いといえます。いわば難民は政治犯とか、裏切り者といった側面を持っているのです。そんな裏切り者を他国が保護するとなれば、難民の本国と保護国との関係が微妙なものになる恐れがあります。しかし、「庇護付与は非友好の行為ではない」という合意にいたっているため、難民の保護はあくまでも人道的、社会的なものであり、政治的な意図を含んだものではないという前提であり、国家間の関係は正常に保たれるのです。

<地域的補完条約>
このOAU難民条約はもちろんOAU(アフリカ統一機構:現在はAUアフリカ連合)の加盟国である53カ国しか適用されない、地域的なものです。また、OAU難民条約はそれ自体ひとつの独立した条約でありながら、定義の面などでは難民条約に+αしたものであり、補完的な側面を持っています。

このようにアフリカの難民発生事情を考慮したOAU難民条約ですが、発効からすでに30年以上経つにもかかわらずアフリカの難民問題は解決とは程遠い状況です。これは、条約作成時に、難民問題は比較的早期に解決されるという甘い考えがあったといわれています。今後、アフリカの難民問題解決のために新たな糸口を探る必要があるのです。


A難民に関するカルタヘナ宣言(カルタヘナ宣言)
これは中米・コロンビアのカルタヘナで出された宣言です。中南米はアフリカに比べると難民問題についてあまり知られていませんが、軍事政権による圧政やクーデターによる内戦が何十年も続く国が多く、難民も国内避難民も多く出ている地域です。そんな中南米の難民問題に関する国際会議が1984年11月に開かれ、最後にこの宣言が出されました。まずはカルタヘナ宣言の難民の定義を見ていきましょう。

<第5項>
…前略…難民の定義と概念は、1951年条約、1967年議定書の要素を含めることに加え、生活や安全や自由が、一般となった暴力、外国の侵略、国内紛争、人権に対する大規模な暴力、公の秩序を深刻に侵害した他の状況によって脅かされたために自国から逃れた難民も含むべきものであること。

1951年条約とは難民条約、1967年議定書とは難民議定書のことです。カルタヘナ宣言もOAU難民条約と同じく、難民条約にプラスして定義が拡大されています。この拡大の仕方も、中南米の難民発生原因である国内紛争を考慮しているといえます。この「一般となった暴力」とは、一方的な攻撃で反撃しないパターンを言い、もし反撃がなされれば、それは紛争や戦争になります。

カルタヘナ宣言はその他にも、難民条約・難民議定書への加入促進、それに伴う国内法の整備、OAU難民条約と同じく、庇護付与は非友好の行為ではないこと、ノン・ルフルマンの原則、自主帰還の原則を規定しています。しかしながら、宣言であるために法的拘束力がありません。ただし、中南米ではほぼすべての国が難民条約・議定書へ加入しており、ある程度高いレベルで難民保護を行っています。


B難民・避難民に関するサンホセ宣言(サンホセ宣言)
この宣言はカルタヘナ宣言10周年を記念してコスタリカで出されました。内容としては、カルタヘナ宣言をベースにそれを具体化したり、付け加えたりしています。特筆すべきことは、子どもの難民・避難民への配慮と、女性の難民・避難民への配慮が謳われている点です。これは難民条約にも、OAU難民条約にも記載されていません。子どもの難民や避難民に関しては、保護者が同伴でなかった場合の取り扱いが難しいとされており、受け入れ後も、離れ離れになった肉親探しを継続したり、肉親が見つかる可能性が低ければタイミングを見計らって養子縁組の世話をしたりなど特別な配慮が必要とされています。サンホセ宣言では、1989年の児童の権利条約に基づいて子どもの難民・避難民に対して配慮するよう各国政府に要請しています。また児童の権利条約にも、第22条に子どもの難民に関して規定されているので見ておいてください(資料集にあります)。また、サンホセ宣言では、ジェンダーを理由に避難した女性も難民として保護するよう要請しています。
そのほかにも、現在、各国が難民の受け入れ枠を狭めようとしているなかで、より多くの難民を受け入れるよう各国に要請している点は非常に注目すべき点であるといえます。

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このようにOAU難民条約、カルタヘナ宣言、サンホセ宣言に関して振り返ってきましたが、いかがでしたか?何かわからないことがあればkaori_shingaidai@yahoo.co.jpまでお願いします。