第3回議題解説講義
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―ケーススタディから学ぶ@―
Lecturer : 西山 嘉威
BG第3章(1) p.31~48
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜<本講義で理解したいこと>〜〜
PKOは“政治的なるもの”
・ PKOに決まりはない!
国連憲章の中には明確な規定がないし、その他の国連文書にも定義や原則を法的に明記したものもない
・ 政治的制約から生まれたPKO
国連がさまざまな国際政治の制約の中で、できる限り紛争の局地化、停戦の安定化などに寄与しようとして編み出した一連の活動 → PKOと呼ばれるように
紛争発生地域における紛争予防の困難さ
・ 紛争予防アクターとしてのPKOの限界
歴史の中で培われてきたPKOの性質は「平和維持活動」にある
・ 人道的介入の視点
内政不干渉原則と人道的危機への対応というジレンマ
→ 「新介入主義」という概念
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1.1 ソマリア内戦
国連のソマリア危機への対応 → 冷戦後本格化した国連による紛争処理活動の典型的な失敗例
<紛争予防のアクター>
1. 1991年6月 近隣諸国による平和的解決の試み
2. 1992年4月 ( )による平和維持活動(伝統的PKO)
3. 1992年12月 ( )中心の多国籍軍( )による人道的介入
4. 1993年5月 ( )による広範に渡る平和創造活動(平和執行型PKO)
◆ソマリア情勢への対応の考察点◆
1. UNITAFからUNOSOMUへ―ガリ事務総長と米国との意見不一致
<安保理で合意されたソマリア情勢への対応>
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多国籍軍(UNITAF)による状況の沈静化 → 国連部隊(UNOSOMU)と交代 |
一連の作戦について>>>
米国:国連が長期的にソマリアの行政に関与することには反対、派遣目的は人道援助活動の保護に限定されるべき
ガリ:そもそもソマリアでの問題は政府の不在、人道援助を政治的和解を通じた新政府樹立と経済復興に繋げるべき
ソマリア各派の武装解除について>>>
ガリ:各派の武装解除が行われなければ、国連がソマリアでの政治的和解を成し遂げるのは困難 → UNITAFによる武装解除を強く要請
米国:あくまでもUNITAFの任務は人道援助活動の保護であり、港湾、空港および補給経路の安全確保に限定される → ガリの意向には応じず
→ 「平和執行型」PKO、UNOSOMUの誕生へ
2. 国連が紛争当事者に変身してしまった―UNOSOMU VS アイディード将軍
1993年6月5日 UNOSOMU要員襲撃事件 → パキスタン兵25名が殺害
1993年6月12日 アイディード派拠点に攻撃を開始
→ この後、UNOSOMUとアイディード派との交戦が激化(PKOが紛争当事者に)
→ アイディード将軍逮捕の失敗とともに、UNOSOMUの“脱”平和執行性
MEMO―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1.2 ルワンダ内戦
ソマリアにおける失敗の影響 → 当面、「平和執行型」PKOの展開は政治的に不可能
→ ルワンダ内戦における消極的な対応へ
<紛争予防のアクター>
1. 1993年6月( )による国境監視(伝統的PKO)
2. 1993年10月( )によるアルーシャ和平合意の履行監視(伝統的PKO)
3. 1994年6月( )中心の多国籍軍による人道的介入
4. 1994年10月 強化されたUNAMIR(条件付)による難民帰還の促進
◆ルワンダ情勢への対応の考察点◆
1. ジェノサイド発生は予期されていた―国際社会の遅い対応
1994年4月6日 ハビャリマナ大統領が墜落死 → フツ族によるジェノサイドの発生
大量虐殺の計画性>>>
1978年 フツ族出身のハビャリマナ政権 → ツチ族への弾圧を開始
・ 新聞やラジオなどで反ツチ族の洗脳キャンペーン
・ フツ族過激派を集めて組織的な訓練の実施
国際社会の人道的な危機意識の欠如>>>
フツ族とツチ族との深い対立 … 国連および近隣諸国は以前から認識
現地NGOやPKO要員から虐殺の危険性を国連や旧宗主国であるベルギー政府に通報
→ ジェノサイドが発生するまでは何も具体的な措置はなされず
→ 早期警報の重要性
※2004年4月7日 アナン事務総長の演説(国連人権委員会)
→ 虐殺発生への早期警報システムの構築と、この警告に対する迅速かつ確実な行動をとることの必要性(虐殺防止特別顧問(Special Adviser on the Prevention of Genocide)を任命することを発表)
2. 国際社会の冷淡な対応―ソマリアのトラウマと戦略的価値のないルワンダ
ジェノサイド発生当時、2つのPKO(UNMOURとUNAMIR)が展開
→ ジェノサイドには何も措置を講ぜず、半ば傍観状態
1994年4月13日 UNAMIR要員のベルギー兵が10人殺害 → ベルギー部隊の即撤退
→ 仏、伊がこれに追従
1994年4月21日 安保理決議912採択 → UNAMIRの大幅縮小を決定
→ 5月半ばにUNAMIRの拡大決定および6月下旬にフランス主導の多国籍軍が展開するまでに、ルワンダ情勢はほぼ野放し状態…この間、殺戮された人々は50万人以上
西側諸国の無関心>>>
カナダのダライール元UNAMIR指揮官の演説(2004.4.6)
西側諸国がルワンダ虐殺を止めに入らなかった理由
「(虐殺に介入する)戦略的価値や(ルワンダ国内に魅力的な)資源が無かったため」
※2004年4月7日 ルワンダでの追悼式典
→ 西側首脳で出席したのは旧宗主国ベルギーのフェルホフスタット首相だけ
→ 欧米の関心の低さが露見
1.3 旧ユーゴ内戦
多民族複合国家であるがゆえの複雑な紛争背景
→ 国連PKOとNATOという地域安全保障機構の“2人3脚”による紛争処理体制の誕生
<紛争予防のアクター>
1. 1992年1月( )紛争から始まったUNPROFORの派遣
2. 1992年7月( )紛争に伴うUNPROFORの拡大派遣
3. 1994年 NATOによるボスニア空爆開始(’95.8〜9月は最大規模)
4. 1999年3月 コソボ紛争におけるNATO空爆
◆旧ユーゴ情勢への対応の考察点◆
1. クロアチアには、UNPROFORが中立性を全く欠いたPKOとしか映らなかった
UNPROFORの任務:国連保護地域の監視と非武装化
→ 民族自決に基づき「セルビア・クライナ共和国」の創設を宣言
→ 非武装化を維持できないまま、UNPROFORはセルビア人勢力地域に駐留
→ マンデートを達成できないUNPROFORの存在に疑問 → 不信感
2. 無力な平和執行性を帯びたUNPROFORの限界―1対1の対応―
・ 安保理決議758 … 人道援助活動の安全確保 → 伝統的PKO
・ 安保理決議776 … 758履行をボスニア全土に拡大 → 伝統的PKO
>>>ボスニア東部を皮切りに三大勢力による戦闘が激化:ジェノサイドの横行
・ 安保理決議819・824 … 東部スレブレニッツアをはじめ6ヶ所を安全地帯とし、人道
状況を監視 → 実質的には伝統的PKO以上の役割が付与
・ 安保理決議836 … 安全地帯への軍事行動に対しては、自衛として武力行使を含む必
要な措置をとるよう要請(7章の援用) → 平和執行的な性質
→ しかしこの平和執行性は、顕在化することなかった(スレブレニッツア事件)
3. NATOによるコソボ空爆の是非―「介入」の合法性と正統性―
1999年3月24日 NATOによるコソボ空爆
→ 安保理の授権を得ないまま、人道的介入の名目のもと武力行使を実施
<新介入主義(new interventionism)>
・ 安保理の授権(7章の援用) → 介入の「合法性」を保証する規定
・ 国際人権法・国際人道法規範 → 介入の「正統性」を保証する価値規範
→ 厳密な国際法解釈では合法ではないが、何らかの広義の規範体系に従えば正当化されるかもしれない
1.4 終わりに
PKOの可能性
PKOの形態 → 対応する紛争の性格によって規定されるもの
実質的な紛争予防アクターとしてのPKOの行方 → 加盟国の政治的意志の問題
人権か国家主権か
「紛争を解決すべき国連の世界的任務は道徳的判断から切り離されるものではなく、むしろそれを必要としている」 ――アナン氏の「罪責告白」の中で
MEMO―――――――――――――――――――――――――――――――――――――