平和維持活動(peace-keeping operation)の設立と発展
担当:近藤真由美
講義の目的 ・国際社会で起こっている紛争の解決手段として最も大きな役割を果たしているPKOの性格を知る。
⇒PKOのもつ可能性と限界を理解することにより、前期議題の争点となるPKOの任務の拡大についてより深い議論ができる。
T. 平和維持活動(PKO)の誕生
・冷戦期の @大国間の協調の崩壊
A東西陣営の対立⇒安保理の機能不全
B国連軍の不在 ・・・・国連の集団安全保障機能[1]の空洞化
・1956年第二次中東戦争勃発に国連緊急軍(UNEF)が派遣されたことにより、国連平和維持活動(PKO)の概念として確立。
U. PKOの性格
☆国連憲章に明文化された活動ではない。
⇒冷戦下で国連の集団安全保障が頓挫した状況の下での地域紛争解決のための試みであり、実際の慣行を通じて形成されたため。
☆国連憲章第6章半の活動
■ PKO設立における前提条件
@全紛争当事者が1. こと。
A全紛争当事者が2. こと。 中立 不偏
■ PKO設立における行動規範
@全紛争当事者に対して3. かつ4. の立場で 臨む。
A紛争当事者に対して5. 。
B国連要員は6. 。
(ハマーショルド事務総長:UNEFの設置及び活動に基づく経験の研究摘要)
※PKOは伝統的には、以上のような前提条件、行動規範を満たして派遣され、7.
に取り組む。
8.
V. PKOの発展
第1世代PKO:同意原則、内政不介入、中立不偏、最小限の装備、紛争再発防止、緩衝材、停戦、武装解除の監視
第2世代PKO:+α 住民投票の監視、選挙監視、行政、難民支援、地雷処理、道路
第3世代PKO:+α 自衛措置が強制措置に拡大
☆第1世代PKO・・・国連緊急軍型のPKOすなわち、9.
☆第2世代PKO
1970年代半ば 米国、ソ連ともに世界的影響力の拡大を目指し、中東、アフリカ、中米などの10. に積極的に介入。
1980年代後半 ソ連、国内改革(経済、政治)のため、過剰な介入負担を軽減すべく、11. から急速に撤退。
⇒それと同時に、PKOが増加。ソ連が世界的に関与していた紛争を投げ出し、国連が後始末を引き受けざるをえなくなったため。
・・・・・国連はPKO派遣の合意を取り付けることに成功し、これらの紛争の大部分であった、内戦処理に当たった。この際に、PKOの任務は目覚ましく拡大。
すなわち、これまでの、停戦や武装解除の監視に加え、住民投票の監視、選挙の準備と監視、行政の肩代わり、人権保護、現地警察の訓練、難民の帰還促進、地雷処理、道路、水路の修復など経済的・社会的な基盤にまで機能を拡大。
行政、統治機能に踏み込むPKO=12.
(13. )
ex.ナミビア独立支援グループ(UNTAG)、国連ニカラグア選挙監視団(ONUVEN)、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)、国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)
☆第3世代PKO
1990年8月 イラク、クウェート侵攻
⇒安保理は非軍事的制裁を決議。イラクは撤退要求に応じず。
1990年11月 安保理、「必要なあらゆる措置(武力制裁を含む)」容認を決議(687)。
1991年3月 イラク、停戦合意(PKO:国連イラク・クウェート監視団UNIKOMの派遣合意)
※PKOの派遣合意を取り付けたが、決議687そのものが14. を根拠にしていた。
=UNIKOMは占領軍的な性格をもったもの。非強制のPKOとは一線を画すもの。
ex.第7章に基づく措置・・・朝鮮国連軍、湾岸多国籍軍、ソマリア多国籍軍[2]、ハイチ多国籍軍、ルワンダ多国籍軍[3]、コソヴォ平和維持部隊、東ティモール国際軍 etc.
すなわち、PKOの自衛措置が拡大して強制行動に踏み込んだ事例。
強制措置に踏み込んだPKO=15.
※しかし、強制措置に踏み切ったPKOは結果的にはいずれも失敗した。
⇒PKOがいったん武力行使に踏み切ると、内戦の当時者のいずれからも敵とみなされ、16. から。(PKOの行動規範とはかけ離れたもの。)
W. まとめ
冒頭で述べたように、PKOについて国連憲章には規定がない。それだけに、PKOがどうあるべきか、今後も変化すると思われる。国連軍が予見する将来に設置される見込みが少ない今、PKOの果たす役割は今後とも重要であると言えるが、その任務として、伝統的PKOの任務のみに従事すべきか、任務を拡大すべきかを今一度、今回の議題を通して考えてもらいたい。